カテゴリー: 文学

es muss sein

es muss sein

 こんにちは, シンです.
最近やっとこのコロナ禍にしかできないことをいくつか見つけました.
まずは普通に落ち着いて勉強をすること, まあこれは当然.
最近は特に目的意識もなく, Twitterやネットサーフィンをしていて気になった言葉を掘り下げたり, 関連する言葉を延々と調べるくらいの姿勢になってしまっていて, 危機感を感じているので, これをどうにか目的のある勉強にしようと奮闘しています.
次に, 愛する飲食店をいくつか救うこと.
私にできるのは, いくらか知恵とお金を出すこと, そして何人かに協力を仰いで実行してもらうことくらい. ただそれだけで絶対に潰れて欲しくない愛する飲食店があと2ヶ月はトントンくらいで乗り切れるだろうとの結論に至りました.
数年前に少しだけライブストリーミングに関わったことがあったのがこんなところで活きるとは思いませんでした笑
夏くらいから本格的にまた営業スタートした際には, よりパワーアップしてたくさんの人の笑顔を作ってくれることでしょう!
ちなみに, ちょっと地方のあまり売れていないキャバクラの救済策を一緒に考えてくれとも言われたのですが, それは今のところ考えついていません…。
さて, 最後に打ちっぱなし
これはずっと実家に籠りっぱなしの今だからできるという単純な話.
仕事が終わってスーパーに買い出しに行った後に, 友人と1時間だけアイアンを振って帰るというルーティンができました.

 さあ冒頭が例によってかなり長くなってしまいましたが, ようやく本題に入っていきます.
本題に入る前にベートーヴェンを聴きましょう.

この曲を聴きながらお読みいただければ幸いです.

さて今回は「人生の尺度」について語っていきたいと思います.
日々生活していたら, 「自分は今何をすれば良いんだろうか」とか, 「今やっていることって正しいんだろうか」とか不安になることが多いと思うんです.
そんなこと思いもしない強き信念を持っている方なら良いのですが, 特にこういう時期でもあるので, 不安な方も多いと思います. 少なくとも私は少し色々不安になることは多いです.
ということで, そのヒントになるだろうことを少し書いていきます.

①まずはスティーブン・コヴィーの『7つの習慣』からのヒント.
この本の前半でしきりに言われている「死ぬ時に周囲にどんな影響を与えた人間でいたいか, どんな功績と共に死にたいか, ということを人生の価値観の尺度として, 毎日を生きろ」という言葉.
人生のゴールから逆算して, 今やっている仕事, 将来の自分の置かれた立場, 人付き合いなどが, その最終的に成りたい自分の為に必要だな, 自分の原則に合っているなと思ることはやる, 違うものにはタッチしなくて良いんだ, というモノサシを持つことが重要だと教えてくれます.

②次に私の大学時代の一番の研究テーマから.
基本的には①と少し似ています.
それは古代ギリシャの英雄的人間観と, 武士道から, 「如何に生きるか」というヒントをもらうという研究でした.
誰しも人生の指針として最後にどの様な終わり方をしたいかというゴールを見据えて生きるのが良いんだと改めて思いました.
如何に死ぬかということを考えることは, 逆説的に如何に生きるかに日々光を当てて生きていくことだと思うんです.
彼らは死と常に隣合わせの生活だったからこそ, いつ死んでも後悔のない様に, 日々ストイックに自分を高め, 自分にとっての名誉を追求することで善く生きようとしていました.
今これをやっていて, 名誉ある死を迎えられるだろうか…ということを考えて行動してみるのも良いかもしれませんね.

③そして最後に『存在の耐えられない軽さ』について.
タイトルにあるes muss seinという言葉は, この小説のなかに出てくる言葉で, 直訳すると「そうでなくてはならない!」という意味です.
この小説は私の兄曰く世界最高の小説なんですが(笑), 世界最高の名に恥じぬだけのあらゆるテーマが作品内に散りばめられています.
それこそ, フランツという登場人物が亡くなる際には, ①や②で言ったような, 死んだ時に何が残ったのか?ということも大きな疑問を投げかけてくれました.
そして主人公のトマーシュも, 人生で大きな決断をする際には, 常にこれは正しいのかということを考え続けていましたね.
自分の人生における究極的なes muss seinを決め, それを達成するために日々, 一瞬一瞬に◯◯しなくてはならない, △△はこうでなくてはならない, という様に小さなes muss seinを組み立てていき, 選択を繰り返して行くんだということを教えてくれます.
そしてこの小説の優れているというか, 示唆に富んでいるなと思うのは, 結局主人公含め, 登場人物がes muss seinを選ばずに生きていくことを選択することなんです.
ちょっとこれまでと言っていることと矛盾しているかも知れませんが, 別に彼らはes muss seinを選ばずに不幸になって死ぬ訳ではなく, es muss seinから開放されてむしろ幸せに生きていくのです.
主人公のトマーシュは元々医者だったので, チューリッヒでずっと医者として患者を治すことが使命でありes muss seinだと思っていた訳ですが, 結局チューリッヒでの生活を捨て, 社会的地位を捨て, 愛人(彼女なのか?)のテレザと共によく分からん田舎でひっそりと生きていくことを選びます.
そしてバイオリンとピアノの音に包まれてテレザの横で本当に幸せに死んでいく…
もしかしたら, トマーシュにとって使命だと, 人生の尺度だと, es muss seinだと思っていたものは実はes muss seinではなく, テレザとの人生こそes muss seinだと気付いたのかも知れませんね.
以前も存在の耐えられない軽さについては書いたのですが(そして今読み返すと非常に稚拙), また以前とは違う視点でこの小説を語れたのは非常に嬉しいです.

 冒頭での最近の私の行動のうち, 最初の二つの勉強と飲食店を救う行動は分かりやすくes muss seinっぽいなと思いますが, 打ちっぱなしはこのes muss seinからの開放に近い気がしています.
結局何が言いたいのか分からなくなって来ていますが, つまり(後々変わっていくかも知れませんが), 人生の尺度を持って生きましょう!それにしたがって日々の選択をしていきましょう!ということが伝われば幸いです.

今回の話とは全然関係ありませんが, 名探偵だからこそ, 不都合かつ悲しい真実に気付いてしまいました. コナンくんが言う通り, 「不可能な物を除外して言って残った物が…たとえどんなに信じられなくても…それが真相」な様です.
https://www.cmoa.jp/quotation/25327/

Coldplayとオリエンタリズム

 こんばんは, シンです.
クリスマスも無事終わり, もういよいよ年明けという雰囲気ですね.
皆さんはこのホリデーシーズンをいかがお過ごしでしょうか?
私はフィリピンの友人宅で年越しです.

 さあ今回はイギリスのスーパーバンド, Coldplayについて語ります.
今年の11月にColdplayの新しいアルバム”Everyday Life”がリリースされました!
本当に一言で言うとクソ良いです. またロックの新しいジャンルに到達したなあという気分です.

ヨルダンで行われた, ライブ配信限定のライブ映像.
一緒に演っているのがベルギーのStromaeっていうのも最高ですね
Coldplayの神曲の一つのパターン, 最高のコーラス曲
こちらは後半のベスト曲に近いですね
これはこれまでのColdplayからも想像できる普通の名曲
アルバムの2曲目に置いているのも秀逸だなあと思います
ちなみにギターのリフの感じがかなりU2のそれに似ていると思いません?

 音楽そのものについて言葉で語るのはあまり好きではないので, そろそろ本題に入ります.
https://www.rollingstone.com/music/music-album-reviews/coldplay-everyday-life-918255/
それでも一応誰かの意見が気になる方は, ローリングストーン誌を一番オススメします. 私が何かアルバム等に対する世間の評価が知りたい時には一番最初に見るのがローリングストーン誌です.
今回のアルバムは, (毎度のことですが)ボーカルのChris Martinおよびメンバーが様々な社会問題に対する心の痛みを唄っています. シリア内戦, 止まらない銃の拡散, レイシズム等…
そんなこんなあって, 最初のライブはヨルダンで行われていますし, アラビア語のタイトルの曲もあります.
聴いていて, 一つの考えが頭に浮かんできました.
「この人達, 過去にもアジアを舞台にした曲を何度も作ってきているけど, どういうつもりで演奏しているんだろうか?」と.
パっと思いつくアジアンな曲は間違いなく”Hymn for the Weekend”ですよね.

 このやたらとインドのエキゾチックさを印象づける様なMVの作りを観て, ふと思いました. 「これも一つのオリエンタリズムなんじゃね!?」と.
オリエンタリズムの概念については, もちろんエドワード・サイードの「オリエンタリズム」の本を参照しています. 深くは触れないですが, ここでは簡単に便宜上「西洋人から見た(そして頭の中で作り上げた)エキゾチックで理解不能なオリエント(東洋)像」とでも定義しておきます.
https://www.amazon.co.jp/dp/4582760112/ref=sr_1_1?keywords=%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0&qid=1577286790&sr=8-1
超有名かつ基本書なので, 読んだことのない方には是非一読をおすすめします. これ抜きに文化論も国際政治も語れませぬ.

さあそこでGoogleで”Coldplay” “orientalism”と調べたところ, 出るの出るの笑
https://www.salon.com/2016/02/02/coldplays_eat_pray_love_india_their_beyonce_collaboration_is_even_more_insidious_than_cultural_appropriation_and_its_not_the_bands_first_time/amp
https://www.theguardian.com/music/2016/feb/01/coldplay-beyonce-hymn-for-the-weekend-cultural-appropriation-india
https://medium.com/the-establishment/orientalism-beyonce-and-coldplays-hymn-to-the-weekend-3b0a5d934f44
https://www.bbc.com/news/world-asia-india-35457653
公正を期すために, Coldplayに対して超高圧的に批判しているものも, やんわりとしているものも, そんなん気にすんなよみたいな記事も複数リンクを載せてみました.
まず感想から述べると, これ, 論文一個書けるなあ…というくらい壮大な話でした.
そして私の結論も最初に書いておくと, 最後のBBCの記事に若干近くなりますが, 多分オリエンタリズムではないし, どう見られているかなんて気にするなよ!という姿勢です.
Lovers in Japanもそうですが, Coldplayの初期には結構オリエンタリズム的な姿勢(というか普通のイギリス内で言われている日本に対する印象論に影響されていた面があっただろうという感じ)が若干感じられるのですが, Princes of Chinaの際にあらゆる方面から叩かれたり, Hymn For The Weekendのときもインド人等から批判Youtube動画を作られまくったりとして, 今は本当にないだろうなと思っています.
なぜ私がChris MartinもColdplayの姿勢もすごく好意的に受け止めているかというと, Lovers in Japanにおける日本も, Hymn For The Weekendにおけるインドも, 一応自分の目で見て, 自分の肌で感じて(プラス元々イギリスで良く言われている言説の固定観念もあり)その国の稀有な点や優れている点を見つけ出そうとしているわけからです.
ちなみにボーカルのChris MartinはLovers in Japan収録のアルバム”Viva La Vida”を発売したとき, 日本に関して ”No one associates romance with Japan. Everyone thinks Japan is just about Hitachi and neon signs, but every time we’re there, we see these amazing sunrises. It’s very sexy.” と評しています.
日本に関しては, sunriseというアイコニックな美しさを見つけ出し, インドに関してはtechnicolorという特徴を自らの力で見つけ出したんだと思います.
彼らは無駄に「貧困なオリエントの人間たちを見出しにきた白人様だぜ」感を出さないし, technicolorを見出したColdplayは元々”technicolor的なもの”をずっとステージやデザインに使い続けてきており, またそれ以降より一層technicolorを取り入れている姿勢を伺うことができます.
そして彼らのチャリティー精神や方々での社会問題に関する言動を見ていれば, 彼らの姿勢が本物であることは間違いないでしょう.

 ところでこれはサイードのオリエンタリズムに対するある種の反論なのですが, 私自身オリエント世界を色々旅してきて, 第一世界で発信されるオリエント世界に関する情報が今だに偏向性があるのは, 一部現地人のせいもあるだろうなと思っています.
日本の無駄に”伝統文化っぽい”商品を観光地で販売しまくっている現場を見てもそうですが「◯◯っぽさ」を無駄に全面に出したマーケティングをしまくっているせいで, その国に対する浅いかつ誤った印象を外国人に与えてしまう機会が本当に多いと思うんですね. しかもそのマーケティングをしている背景にある歴史や文化的変遷に関する説明ができない人がそれをやっていることが非常に多いため, 日本に対する誤解を解く機会がないという悲劇…
それもこれも, “相手から見られているであろう自分”を意識しすぎているからだと思うんです. そして文化人類学だとアジア人は比較的その傾向が強いと言われています(ある意味ホスピタリティーの一貫でもあるのがこの問題を難しくしているのですが).
私の場合, 外国人の友人が日本に来てガイドをする時は謎にバッティングセンターに言ったり彼女や友人を呼んで普通に飲むだけみたいなイベントを開催しちゃうので, あまりそういうホスピタリティーも発揮の仕方は分からないんですが…

 まあ文化の発信のされ方や思われ方ってどうでもいいじゃないですか, 自分がその価値観や風俗習慣を大事にしていれば.
だから他人とかは置いておいて, 堂々と自分の信念にしたがって生きましょうや.
そんな新年にしましょうや.
以上, フィリピンの年明け直前の夜より.

P.S. 2019年は本当に多くの読者の方々からご愛顧いただき, 誠にありがとうございました!
2020年はより一層パワーアップして(頻度もできたら上げていきたいです…)お送りいたしますので, 引き続き何卒よろしくお願い申し上げます。

エロース(愛)について

 はい皆さんこんにちは!シンです.
昨日の台風凄かったですね, 音がすご過ぎてほぼ寝られませんでした, 同僚から電話がかかってくるまで笑
なんか台風の被害で交通機関が止まってしまったので, 自宅で仕事することにしました. 普通に仕事していますが, 何となく思わぬ休暇的な雰囲気に気が抜けます.

 さあ今回はブリッジとかなしに, ズバリタイトルについて語っていきたいと思います. いつもブリッジの話をし過ぎて本題書くの面倒臭くなってしまうので笑
 先月「答えのないお題に集まる人々の会」に参加してきました.
彼らはその集まりのことを「哲学カフェ」と呼んでいました. 生きるって何や, 国って何や, 魂って何や, 幸せって何や, 愛って何や…と言うことを延々と話ていました. 一人一人が断片的に思うことを述べていくただのシェアリングセッションみたいな感じでした.
うーん,,,別に歴史上の哲学者の引用等をするでもなく, ただ思いついたことをポツポツとシェアしていくだけの集まりだったので, 正直私には物足りなかったです.
そもそも哲学って, ユニバーサルな答えがあるかは分からないけど, 過去の事例や別の観点の思考を入れて, 自分なりの答えを出すものだと思いますし, それがビジネスでも, 全く違う分野の学問でも, 全ての思想や情熱をかけて行うもののバックボーンにするものだと思うんですね. だからその人たちの集まりにはあまり賛同できませんでした.

 まあその中でも幸せって何や, というお題と愛って何やというお題はかなり盛り上がりました.
参加者の一人が『また, 同じ夢を見ていた』という住野よる先生の本を最近読んだらしく, そこから学んだこととして,
「幸せとは, 誰かのことを真剣に考えられるということだ」
「幸せとは, 今私は幸せだったって, 言えることだ(過去を思い返して)」
「幸せとは, 自分が嬉しく感じたり楽しく感じたり, 大切な人を大事にしたり, 自分のことを大事にしたり, そういった行動や言葉を, 自分の意思で選べることです」
ということをシェアしてくれました.
今日思わぬ休暇だったので, この作品全部読破しました笑

https://www.amazon.co.jp/また、同じ夢を見ていた-住野-よる/dp/4575239453

住野よる先生は, 言わずと知れた『君の膵臓をたべたい』の著者ですが, めっちゃ読みやすくて面白いので, 最近の作家さんの中でもポップに好きです.
今回のはストーリー的には若干『野ブタ。をプロデュース』に似ていますが, それよりもファンタジー要素も, 学びも, 感動もあったかな.
上記どれも正解だろうなあ(私個人の感情として)と思いますが, 一番納得するのは一番下ですね. そりゃ小説のまとめだから, 間違いないんですけど笑
でも一番上のにもとても共感するんですよね. 私にとっては, 「大切な人が幸せを感じていること. 願わくば僕の傍で」が数年前に気づいた幸せです.
幸せの形は人によっても, その時によっても違うと思うので, ここにはあえて深入りしないでおきますね.

 さあ続いて, エロース(愛)って何やってことについて語っていきたいと思います. 私は古代ギリシアの世界観が好きなので, 主に今回は古代ギリシアを下敷きにして論じていきます.
基本的にはプラトン先生の『饗宴』を土台に, 度々『パイドロス』『国家』について触れます.
『メノン』も良いらしいのですが, 私は読んでいないので逃げます笑
https://www.amazon.co.jp/饗宴-岩波文庫-プラトン/dp/4003360133



あ, 途中ですが, 面倒臭くなったのでとりあえずポストします笑

存在の耐えられない軽さ

 こんにちは, シンです.
最近周囲の一部からシンちゃんと呼ばれる機会が多く(このブログのお陰では全くない), 非常に嬉しい限りです笑

 世の中もお盆休みとなり, 私も悲願の9連休を獲得しました!
というよりも, まず数ヶ月間全く本ブログを更新していなかったことをお詫びさせてください. 仕事のバタバタやら, 人間模様のバタバタやら, 資格勉強等で, 正直意識的に更新を避けておりました. リア友の何人からか, 読んでますよ!めっちゃ面白いです!みたいなありがたい御言葉を頂戴していたにも関わらず, 申し訳ないです. その間に, 大分ネタも貯まりましたよ. 今後はもう少し頻度を上げていきますので, もう少々お付き合いくださいませ.

さあ話は戻ってお盆について. せっかく9連休も取れたので, できれば海外旅行に繰り出したいところでしたが, 家庭とお財布の事情により家族で長野の田舎に来ています. 町づくり事業に関わっていたこともあり, いわゆる「作り込まれた田舎」があまり個人的には好きではないのですが, 同行者が好きなので結局毎年この長野の地に足を運ぶこととなっています. 元々は私の憧れの地ギリシャに行く予定だったのですが, 連れも居なくなってしまったことなので, 今回は国内に留まることにしました(お盆休みにANAでギリシャ行きのチケットを取ると40万くらいになるという驚愕の事実を目の当たりにし, 余裕で諦めました). 

まあこの画が撮れる場所に行きました. ってことで90%分かりますね. 下まで見ていただければ分かりますが, 私はかなりの雨男なので, 基本晴れの旅行写真がありません笑

 さあ話を本題に戻します. 今回は世に言う「働き方改革」について語っていきたいわけです. しかしながら, とは言ってもこのブログのタイトルに超有名小説のタイトルを使ってしまった以上, 「存在の耐えられない軽さ」について語らないわけにはいきませぬ. 

『存在の耐えられない軽さ』は, 言わずと知れた,チェコの大名作家ミラン・クンデラの多分最も有名な小説です. そして私が読んだ集英社の1993年版の訳は, 我が外国語学習の師である千野栄一先生なのです!千野栄一先生の『外国語上達法』を高校生の時に読んでいなかったら, 外国語オンチの私が大学受験に受かることもなかったと思いますし, 今のように外国語を仕事で使う仕事には就けていなかったでしょう.
https://www.amazon.co.jp/外国語上達法-岩波新書-黄版-329-千野/dp/4004203295
 ミラン・クンデラの作品の中では, 『不滅』が一番好きと言う方も多いようですが, 私は読んでいないので, まず入門として一番有名な本作を読むのがいいのかなと何となくオススメします.
https://www.amazon.co.jp/存在の耐えられない軽さ-集英社文庫-ミラン・クンデラ/dp/4087603512


 「入門」とか「小説」とか申しましたが, 恐らくこの本作品は「入門」でもなければ「小説」と呼んで良いものなのか疑問です. なぜなら, 本作は私がこれまで読んだ数百の小説の中で, 最も難解な作品の一つだったからです. そして「小説」なのかすら疑問なくらい詩的で哲学的です. まあそもそもクンデラは詩人ですし. 普段解釈の仕方等がよく分からない時は, 松岡正剛先生の「千夜千冊」シリーズを参考にするのですが, 今回は全く参考になりませんでした. 松岡正剛先生は言わば読書のプロで, 高校生の時に安部公房の『砂の女』を読んでよく分からなかった時に参照して以来, たまにお世話になります. まあ私が読んだ小説を松岡先生が読んでいらっしゃらないことはほぼないので笑
以下リンクです
https://1000ya.isis.ne.jp/0360.html
 今回上記以外にも色々参考にしましたが, still よく分からない笑 そのあと1度ちゃんと読み返したのに…
 そもそも本作品ではクンデラ自身が作中にかなり出てきますし, 主人公のトマーシュを使って, クンデラが伝えたい世界観, クンデラが実装されるべきと思う世界観を, 小説という体裁を使って表現しているに過ぎない気がします. 

恐らく本作は, 最初の「ニーチェの永劫回帰という考え方はニーチェ以外の哲学者を困惑させた」という一行と, 「だが, 本当に重さは恐ろしく, 軽さは美しいのだろうか?」という一行を見落とすと, 常に頭に入れながら読まないと, 完全にミスリードします. ただの社会意識の高い医者と, 小娘の一夏の恋→遠距離を乗り越えた長い美しい愛の物語♡ みたいなありきたりな解釈になります. ちなみに何が愛か, 良い愛かという問いは, 次回以降に持ち越します. 

 恐らくクンデラは本作を通してニーチェの永劫回帰論を否定し, さらに人生の重さ(重荷みたいなもの)最高じゃん!って言いたいのかなと思います. まずニーチェの永劫回帰論を, 人生が何回も繰り返されるのであれば, 今我らが必死に悩んだり考えたりしていることってめっちゃショボくね?軽くね?と解釈している様です. その上で, クンデラは人生は一回きりだ!だからこそ一つ一つの決断は重いものだ!と述べたいのかな.
ー逆に, 重荷がすっかりなくなってしまうと, 人間は空気よりも軽くなり, 飛び立って大地から, 地上の存在から遠ざかり, もうなかば現実のものではなくなって, その動きは自由であればあるほど無意味になってしまう. ー
と述べていることからも, 空っぽの人生, 空っぽの存在にならない為にも, 色々な重荷を背負って, 悩んで, 足掻いて, 考えて生きていこうよってことを要旨として伝えたいのかなと思います. 

 そうでなければ, 主人公のトマーシュが亡命先の(確か)チューリッヒで何不自由なく医者として生きていて, 政治的にも経済的にも精神的にも拘束されるプラハにわざわざ恋人のテレーザ追いかけて戻ってこないでしょ. 向こうでこれまで通りセフレとテキトーによろしくやってテキトーに上流階級っぽい生活楽しんでいれば良いでしょ. そもそも結構人間的に合わないんだし. 医者としての人生を捨ててまでテレーザとチェコの田舎に移り住むことないでしょ. すごく俗的なアウトプットになってしまいましたが, 彼が背負おうと決めたもの, 未来, そしてその後に歩むことに対する称賛を通して, クンデラは人生かくあるべし!と伝えたいのだと思います. あ, 私は称賛なんだと思いましたが, どの様に捉えるかは読者次第かも知れません. 

 いやあ, 今回ばかりは難し過ぎて確定的な表現があまりできず, 恥ずかしいす.
そもそもこのタイトルについて書こうと思ったきっかけが, 3月頃に私自身が人生で初めてプラハに行ったことにあります. 兄がチェコにかなり強い繋がりのある人なので, 以前から行ってみたかったのですが, やっと先般行くことができたのです. 特に兄が世界の橋で一番好きと行っていたカレル橋. そして当時の私にとってはかなり大きな意味を持っていたスメタナの世界観. 

当日は曇っていましたが, 夜は普通に綺麗でした. ちなみに連れは微妙と言っていました笑
スメタナ像も橋の近くにあったので写真を撮りました. 曇ってました笑

 帰国してから兄と旅行のことを話して, チェコの空気感が分かりたかったら『存在の耐えられない軽さ』を読めよと言われ, 今に至るという感じです. ちなみに私はトマーシュたちとは逆に当時の彼女と破局して帰ってきてしまいました汗
 いやあ, 場所自体は素晴らしかったのですが, 自分の取ったムーブに関しては悔いが残りますなあ. 本田圭佑リスペクトで, 反省はしても後悔はしないという姿勢を基本スタンスにしているのですが笑
 いずれにしても, 仕事でも学生時代にしてもアジアと関わることが多かった私としては(というかほとんどアジア諸国しか行ったことない), ヨーロッパ良いなあと, すごくお花畑な感想を漠然と抱きました笑

 次回も, ヨーロッパ繋がりで, Before Sunriseや, プラトン大先生のイデア論系を取り上げたいと思います. 前段で書いた, 何が愛か, みたいなのもその際に書けたらなあと思います. 一応学生時代古代ギリシア文学のゼミに入っていたので, そこそこ書くことがありそうです!あ, 働き方改革に関しては, 今回はもう疲れてしまったので, 次回以降に持ち越しです笑