カテゴリー: 海外文学

es muss sein

es muss sein

 こんにちは, シンです.
最近やっとこのコロナ禍にしかできないことをいくつか見つけました.
まずは普通に落ち着いて勉強をすること, まあこれは当然.
最近は特に目的意識もなく, Twitterやネットサーフィンをしていて気になった言葉を掘り下げたり, 関連する言葉を延々と調べるくらいの姿勢になってしまっていて, 危機感を感じているので, これをどうにか目的のある勉強にしようと奮闘しています.
次に, 愛する飲食店をいくつか救うこと.
私にできるのは, いくらか知恵とお金を出すこと, そして何人かに協力を仰いで実行してもらうことくらい. ただそれだけで絶対に潰れて欲しくない愛する飲食店があと2ヶ月はトントンくらいで乗り切れるだろうとの結論に至りました.
数年前に少しだけライブストリーミングに関わったことがあったのがこんなところで活きるとは思いませんでした笑
夏くらいから本格的にまた営業スタートした際には, よりパワーアップしてたくさんの人の笑顔を作ってくれることでしょう!
ちなみに, ちょっと地方のあまり売れていないキャバクラの救済策を一緒に考えてくれとも言われたのですが, それは今のところ考えついていません…。
さて, 最後に打ちっぱなし
これはずっと実家に籠りっぱなしの今だからできるという単純な話.
仕事が終わってスーパーに買い出しに行った後に, 友人と1時間だけアイアンを振って帰るというルーティンができました.

 さあ冒頭が例によってかなり長くなってしまいましたが, ようやく本題に入っていきます.
本題に入る前にベートーヴェンを聴きましょう.

この曲を聴きながらお読みいただければ幸いです.

さて今回は「人生の尺度」について語っていきたいと思います.
日々生活していたら, 「自分は今何をすれば良いんだろうか」とか, 「今やっていることって正しいんだろうか」とか不安になることが多いと思うんです.
そんなこと思いもしない強き信念を持っている方なら良いのですが, 特にこういう時期でもあるので, 不安な方も多いと思います. 少なくとも私は少し色々不安になることは多いです.
ということで, そのヒントになるだろうことを少し書いていきます.

①まずはスティーブン・コヴィーの『7つの習慣』からのヒント.
この本の前半でしきりに言われている「死ぬ時に周囲にどんな影響を与えた人間でいたいか, どんな功績と共に死にたいか, ということを人生の価値観の尺度として, 毎日を生きろ」という言葉.
人生のゴールから逆算して, 今やっている仕事, 将来の自分の置かれた立場, 人付き合いなどが, その最終的に成りたい自分の為に必要だな, 自分の原則に合っているなと思ることはやる, 違うものにはタッチしなくて良いんだ, というモノサシを持つことが重要だと教えてくれます.

②次に私の大学時代の一番の研究テーマから.
基本的には①と少し似ています.
それは古代ギリシャの英雄的人間観と, 武士道から, 「如何に生きるか」というヒントをもらうという研究でした.
誰しも人生の指針として最後にどの様な終わり方をしたいかというゴールを見据えて生きるのが良いんだと改めて思いました.
如何に死ぬかということを考えることは, 逆説的に如何に生きるかに日々光を当てて生きていくことだと思うんです.
彼らは死と常に隣合わせの生活だったからこそ, いつ死んでも後悔のない様に, 日々ストイックに自分を高め, 自分にとっての名誉を追求することで善く生きようとしていました.
今これをやっていて, 名誉ある死を迎えられるだろうか…ということを考えて行動してみるのも良いかもしれませんね.

③そして最後に『存在の耐えられない軽さ』について.
タイトルにあるes muss seinという言葉は, この小説のなかに出てくる言葉で, 直訳すると「そうでなくてはならない!」という意味です.
この小説は私の兄曰く世界最高の小説なんですが(笑), 世界最高の名に恥じぬだけのあらゆるテーマが作品内に散りばめられています.
それこそ, フランツという登場人物が亡くなる際には, ①や②で言ったような, 死んだ時に何が残ったのか?ということも大きな疑問を投げかけてくれました.
そして主人公のトマーシュも, 人生で大きな決断をする際には, 常にこれは正しいのかということを考え続けていましたね.
自分の人生における究極的なes muss seinを決め, それを達成するために日々, 一瞬一瞬に◯◯しなくてはならない, △△はこうでなくてはならない, という様に小さなes muss seinを組み立てていき, 選択を繰り返して行くんだということを教えてくれます.
そしてこの小説の優れているというか, 示唆に富んでいるなと思うのは, 結局主人公含め, 登場人物がes muss seinを選ばずに生きていくことを選択することなんです.
ちょっとこれまでと言っていることと矛盾しているかも知れませんが, 別に彼らはes muss seinを選ばずに不幸になって死ぬ訳ではなく, es muss seinから開放されてむしろ幸せに生きていくのです.
主人公のトマーシュは元々医者だったので, チューリッヒでずっと医者として患者を治すことが使命でありes muss seinだと思っていた訳ですが, 結局チューリッヒでの生活を捨て, 社会的地位を捨て, 愛人(彼女なのか?)のテレザと共によく分からん田舎でひっそりと生きていくことを選びます.
そしてバイオリンとピアノの音に包まれてテレザの横で本当に幸せに死んでいく…
もしかしたら, トマーシュにとって使命だと, 人生の尺度だと, es muss seinだと思っていたものは実はes muss seinではなく, テレザとの人生こそes muss seinだと気付いたのかも知れませんね.
以前も存在の耐えられない軽さについては書いたのですが(そして今読み返すと非常に稚拙), また以前とは違う視点でこの小説を語れたのは非常に嬉しいです.

 冒頭での最近の私の行動のうち, 最初の二つの勉強と飲食店を救う行動は分かりやすくes muss seinっぽいなと思いますが, 打ちっぱなしはこのes muss seinからの開放に近い気がしています.
結局何が言いたいのか分からなくなって来ていますが, つまり(後々変わっていくかも知れませんが), 人生の尺度を持って生きましょう!それにしたがって日々の選択をしていきましょう!ということが伝われば幸いです.

今回の話とは全然関係ありませんが, 名探偵だからこそ, 不都合かつ悲しい真実に気付いてしまいました. コナンくんが言う通り, 「不可能な物を除外して言って残った物が…たとえどんなに信じられなくても…それが真相」な様です.
https://www.cmoa.jp/quotation/25327/

仕事に没頭することが最適解である

 どうも, シンです.
絶対に逃げないために, 前回ポストのタイトルを「エロースについて」としたのにもかかわらず, 結局面倒くさくなってしまいました. 弱き漢よ笑
そしてどうでも良いですが, 最近Apple製品のAir Dropの機能って本当に最強だよなと実感しています. 元々Apple信者ですが.
ケータイが壊れてしまったので, このMacと社用ケータイ, 知り合いからもらった予備のiPhoneでどうにか生きているのですが, 全てAir Dropのおかげでデータ共有が楽にできるからだと思っています.

この有様ですよ泣

 それよりも, まずい報告です.ついに来てしまいました, ヤツが.
数年前に罹り, 毎年1回or2回襲ってくる持病が.普段は朝起きたら罹っていることが多いのですが, 今回は日中に何の前触れもなく来てしまいました.
毎年1〜2週間くらいで治るんですが, あれ重いんよなあー…
せっかく横浜音祭り始まるのに, 明後日バスケの大会なのに, タイミング悪し…
確か昨年もほぼ同じ時期だったなあ.勝手にアスペルガー症候群の姪っ子みたいな病気やろと認識するようにしているんですが, 多分これに罹らなければ, 学生時代に障害児に関わるバイトをすることもなかっただろうなあと思います. 
実際アスペルガー症候群の子や自閉症の子, ダウン症の子たちに学ぶことは多かったです. 
今のところ何も解決策を見出せていないのですが, それは恐らく自分の勉強不足.
まあある程度認識できて飼い慣らすことが出来るようになっただけでも良いか.
治るまでは, 多分結局仕事に没頭することが最適解であることだけ理解しているので, パフォーマンスを発揮していきます. 
凄いんですよね, やる気は全く上がらないのに, コンセントレーションだけめっちゃ上がるんですよ. 
しかも普段飛び回ったり, 動き回ってることでパフォーマンス出していくタイプなはずなのに, こういう時はじっくり分析系の仕事の方ができるんですよ.
行動力あるよねーとかは昔からよく言われるんですが, 案外考える系, というか分析系の仕事の方が合っているのかも.
大学生の時に勉強癖つけておいて良かった…
そしてまあ幸せではあるんですよね, 今日も既に本2冊も読めたし.

 さあ話変わりまして, やっとエロースについて語っていきます.
多分今回だけでは終わらない気がします.
まず古代ギリシャの時代におけるエロースについて.
この古代ギリシャの性愛に関しては, 現代においてジェンダーとかクイア論を信奉していたり, LGBTQ支持の論者の人たちが好んで引用するんですが, まあ多分この古代ギリシャの前提となる世界観を理解して引用している学者は少ないと思っています.
なぜ彼らがこぞって古代ギリシャの性愛を取り上げるかと言うと, 彼らが同性愛と異性愛を同列に語っていたからです.
『饗宴』において, かの有名な喜劇作家アリストファネスは人類の歴史について語ります.
まあ科学的に考えればおかしな話ではありますが, 当時男と女とともに, 男女(おめ)と呼ばれる, 手も足も4本ずつの生き物がいたんだとか.
しかし人間たちが神々に対して不敬な態度を取りまくるもんだから, 神々の親玉のゼウスが怒って二つに分けてしまったらしい.
だから人間は自分の片割れたる半身を求め続ける, それも男女とか関係なく, とりあえず相手を求めたがる.
半身になってしまった不完全なる自分が, 完全なる存在になるために.アリストファネスが神話的に語った話で大事なことは, とにかく同性愛と異性愛を同列に語ったことなんですね.
男は太陽から, 女は地球から, その両性を兼備したものは月から生まれたものらしく, どういう愛だろうが, それはそれらの神々の交わりなんだぞ. ってな感じかな.
だから男が女を求めるも良し, 男が男を求めるも良し.
むしろ古代ギリシャで良い感じのおじさんになるにはゲイじゃないとダメだったんですね.これには色々別の文脈もあるので後述します.

 この考えには落とし穴もあって, あまり指摘されていないんですが, この男女(おめ)や同性愛は当時の『饗宴』が描かれた時点で既に少しバカにされる風潮にあったんですね. というかバカにする人が少なからず存在した.
だから, 当時のギリシャでは同性愛が推奨されていたんだ!現代の私たちも彼らと同じように同性愛を認めよう!と手放しに喜んで同性愛最高!って言うのは当時の世相をあまり反映していない気がします.

 さあ次に同性愛, と言うか徳のある良い感じのおじさんと少年の間の愛, いわゆる有名な少年愛について語っていきます.
これが当時最上の愛のカタチだと思われていた節があるんですね.
徳のあるおじさんは, その徳を将来有望な美しい少年に伝えないといけない.
勇気, 忍耐, 自己節制, 大胆さ, 知性などの徳を教えるのは, おじさん→美少年じゃないとダメなんだ!という論です.
むしろおじさんが女性とエッチする, 子供作るっていうのは多少苦痛だけど, 仕方なしにやってる節があるんだ, みたいなニュアンスで思っていた人もかなり多かったでしょう.
まあつまり当時の徳のあるおじさんたちは, 厳密にはゲイではなく, 両刀使いだったんですね.
いずれにしてもひどく男性社会的というか, 女性蔑視的な世界観ですよね.
これは戦争ばっかやっていた当時を考えれば, 男性的になるのも分からなくはないかな, 古代ローマでも日本の戦国時代も似たようなものなので.
世界三大戦略学者の一人, エドワード・ルトワックは, 「(性的な意味で)堕落の原因になる女性を軍隊に絶対入れるな!」と言っているのですが, もしこの古代ギリシャの人々が本当に上記のような思想を持っていたなら, 古代ギリシャに限っては女性が軍隊に入っても問題なさそうな気もしてきますね. 筋力的なハードルさえなければ.

本棚にちょこんと置いてある, 将軍ペリクレスの置物.
ギリシャ土産.

 私いつも, クイア論者は置いといても, ジェンダー論者というかフェミニストが古代ギリシャが好きな理由が全然分からないんですよね.
古代ギリシャの文化が花開いたB.C. 5th~4thらへんって, とんでもない男性中心社会ですからね.
たまに『女の議会』みたいな作品が描かれて, 活き活きとした女性像が提示されることはありますけど, 別にそれ, アテーナイ全体とかギリシャ全体でそうだったわけではないですからね. スパルタとか多分ヤバかったと思いますよ. マジで男性中心でしか動いてない笑

 少年愛のバックグラウンドやばくねって話を散々しましたが, この少年愛には非常に重要な示唆が二つあると思うんですね.
古代ギリシャの人たちが教育に非常に力を入れていた(カタチはどうであれ)ことと, 本当の愛とは何かという話です.
ここから, なんでお互いにそんな少年愛が成立できたんだって話から, イデア論に飛んでいきます.
この, おじさんと少年の間に何があったかと言うと, 「俺にはこんなに徳があるんだぞ!知恵があるんだぞ!」→「このおじさん良いなあ(少年にも断る権利があるので)」→「このおじさんと仲良くしとけば, 色々教えてもらえるし将来良い徳が身につくかも知れないな!権力の中枢にもいけるかも知れないし!」→「徳とはつまり, 〇〇〇〇〇なんだぞ!分かったか?(パンパンパンパン)」みたいな感じで, セックス込みで教育していくわけです笑
性的な音楽性の違いは私とは合わない気がしますが, とりあえずこの二人の間には, 高尚な徳や知性のやり取りがあったわけです. これが大事.
プラトニックラブという言葉を聞いたことがある人は多いと思いますが, あれは単にキスをしない, セックスしない恋みたいな意味ではないんですよ笑
なんかまた書くの面倒臭くなってきたので, 続きは次回!笑
プラトニックラブとエロス神への信仰あたりを.
あとBefore Sunriseらへん.

 

エロース(愛)について

 はい皆さんこんにちは!シンです.
昨日の台風凄かったですね, 音がすご過ぎてほぼ寝られませんでした, 同僚から電話がかかってくるまで笑
なんか台風の被害で交通機関が止まってしまったので, 自宅で仕事することにしました. 普通に仕事していますが, 何となく思わぬ休暇的な雰囲気に気が抜けます.

 さあ今回はブリッジとかなしに, ズバリタイトルについて語っていきたいと思います. いつもブリッジの話をし過ぎて本題書くの面倒臭くなってしまうので笑
 先月「答えのないお題に集まる人々の会」に参加してきました.
彼らはその集まりのことを「哲学カフェ」と呼んでいました. 生きるって何や, 国って何や, 魂って何や, 幸せって何や, 愛って何や…と言うことを延々と話ていました. 一人一人が断片的に思うことを述べていくただのシェアリングセッションみたいな感じでした.
うーん,,,別に歴史上の哲学者の引用等をするでもなく, ただ思いついたことをポツポツとシェアしていくだけの集まりだったので, 正直私には物足りなかったです.
そもそも哲学って, ユニバーサルな答えがあるかは分からないけど, 過去の事例や別の観点の思考を入れて, 自分なりの答えを出すものだと思いますし, それがビジネスでも, 全く違う分野の学問でも, 全ての思想や情熱をかけて行うもののバックボーンにするものだと思うんですね. だからその人たちの集まりにはあまり賛同できませんでした.

 まあその中でも幸せって何や, というお題と愛って何やというお題はかなり盛り上がりました.
参加者の一人が『また, 同じ夢を見ていた』という住野よる先生の本を最近読んだらしく, そこから学んだこととして,
「幸せとは, 誰かのことを真剣に考えられるということだ」
「幸せとは, 今私は幸せだったって, 言えることだ(過去を思い返して)」
「幸せとは, 自分が嬉しく感じたり楽しく感じたり, 大切な人を大事にしたり, 自分のことを大事にしたり, そういった行動や言葉を, 自分の意思で選べることです」
ということをシェアしてくれました.
今日思わぬ休暇だったので, この作品全部読破しました笑

https://www.amazon.co.jp/また、同じ夢を見ていた-住野-よる/dp/4575239453

住野よる先生は, 言わずと知れた『君の膵臓をたべたい』の著者ですが, めっちゃ読みやすくて面白いので, 最近の作家さんの中でもポップに好きです.
今回のはストーリー的には若干『野ブタ。をプロデュース』に似ていますが, それよりもファンタジー要素も, 学びも, 感動もあったかな.
上記どれも正解だろうなあ(私個人の感情として)と思いますが, 一番納得するのは一番下ですね. そりゃ小説のまとめだから, 間違いないんですけど笑
でも一番上のにもとても共感するんですよね. 私にとっては, 「大切な人が幸せを感じていること. 願わくば僕の傍で」が数年前に気づいた幸せです.
幸せの形は人によっても, その時によっても違うと思うので, ここにはあえて深入りしないでおきますね.

 さあ続いて, エロース(愛)って何やってことについて語っていきたいと思います. 私は古代ギリシアの世界観が好きなので, 主に今回は古代ギリシアを下敷きにして論じていきます.
基本的にはプラトン先生の『饗宴』を土台に, 度々『パイドロス』『国家』について触れます.
『メノン』も良いらしいのですが, 私は読んでいないので逃げます笑
https://www.amazon.co.jp/饗宴-岩波文庫-プラトン/dp/4003360133



あ, 途中ですが, 面倒臭くなったのでとりあえずポストします笑

存在の耐えられない軽さ

 こんにちは, シンです.
最近周囲の一部からシンちゃんと呼ばれる機会が多く(このブログのお陰では全くない), 非常に嬉しい限りです笑

 世の中もお盆休みとなり, 私も悲願の9連休を獲得しました!
というよりも, まず数ヶ月間全く本ブログを更新していなかったことをお詫びさせてください. 仕事のバタバタやら, 人間模様のバタバタやら, 資格勉強等で, 正直意識的に更新を避けておりました. リア友の何人からか, 読んでますよ!めっちゃ面白いです!みたいなありがたい御言葉を頂戴していたにも関わらず, 申し訳ないです. その間に, 大分ネタも貯まりましたよ. 今後はもう少し頻度を上げていきますので, もう少々お付き合いくださいませ.

さあ話は戻ってお盆について. せっかく9連休も取れたので, できれば海外旅行に繰り出したいところでしたが, 家庭とお財布の事情により家族で長野の田舎に来ています. 町づくり事業に関わっていたこともあり, いわゆる「作り込まれた田舎」があまり個人的には好きではないのですが, 同行者が好きなので結局毎年この長野の地に足を運ぶこととなっています. 元々は私の憧れの地ギリシャに行く予定だったのですが, 連れも居なくなってしまったことなので, 今回は国内に留まることにしました(お盆休みにANAでギリシャ行きのチケットを取ると40万くらいになるという驚愕の事実を目の当たりにし, 余裕で諦めました). 

まあこの画が撮れる場所に行きました. ってことで90%分かりますね. 下まで見ていただければ分かりますが, 私はかなりの雨男なので, 基本晴れの旅行写真がありません笑

 さあ話を本題に戻します. 今回は世に言う「働き方改革」について語っていきたいわけです. しかしながら, とは言ってもこのブログのタイトルに超有名小説のタイトルを使ってしまった以上, 「存在の耐えられない軽さ」について語らないわけにはいきませぬ. 

『存在の耐えられない軽さ』は, 言わずと知れた,チェコの大名作家ミラン・クンデラの多分最も有名な小説です. そして私が読んだ集英社の1993年版の訳は, 我が外国語学習の師である千野栄一先生なのです!千野栄一先生の『外国語上達法』を高校生の時に読んでいなかったら, 外国語オンチの私が大学受験に受かることもなかったと思いますし, 今のように外国語を仕事で使う仕事には就けていなかったでしょう.
https://www.amazon.co.jp/外国語上達法-岩波新書-黄版-329-千野/dp/4004203295
 ミラン・クンデラの作品の中では, 『不滅』が一番好きと言う方も多いようですが, 私は読んでいないので, まず入門として一番有名な本作を読むのがいいのかなと何となくオススメします.
https://www.amazon.co.jp/存在の耐えられない軽さ-集英社文庫-ミラン・クンデラ/dp/4087603512


 「入門」とか「小説」とか申しましたが, 恐らくこの本作品は「入門」でもなければ「小説」と呼んで良いものなのか疑問です. なぜなら, 本作は私がこれまで読んだ数百の小説の中で, 最も難解な作品の一つだったからです. そして「小説」なのかすら疑問なくらい詩的で哲学的です. まあそもそもクンデラは詩人ですし. 普段解釈の仕方等がよく分からない時は, 松岡正剛先生の「千夜千冊」シリーズを参考にするのですが, 今回は全く参考になりませんでした. 松岡正剛先生は言わば読書のプロで, 高校生の時に安部公房の『砂の女』を読んでよく分からなかった時に参照して以来, たまにお世話になります. まあ私が読んだ小説を松岡先生が読んでいらっしゃらないことはほぼないので笑
以下リンクです
https://1000ya.isis.ne.jp/0360.html
 今回上記以外にも色々参考にしましたが, still よく分からない笑 そのあと1度ちゃんと読み返したのに…
 そもそも本作品ではクンデラ自身が作中にかなり出てきますし, 主人公のトマーシュを使って, クンデラが伝えたい世界観, クンデラが実装されるべきと思う世界観を, 小説という体裁を使って表現しているに過ぎない気がします. 

恐らく本作は, 最初の「ニーチェの永劫回帰という考え方はニーチェ以外の哲学者を困惑させた」という一行と, 「だが, 本当に重さは恐ろしく, 軽さは美しいのだろうか?」という一行を見落とすと, 常に頭に入れながら読まないと, 完全にミスリードします. ただの社会意識の高い医者と, 小娘の一夏の恋→遠距離を乗り越えた長い美しい愛の物語♡ みたいなありきたりな解釈になります. ちなみに何が愛か, 良い愛かという問いは, 次回以降に持ち越します. 

 恐らくクンデラは本作を通してニーチェの永劫回帰論を否定し, さらに人生の重さ(重荷みたいなもの)最高じゃん!って言いたいのかなと思います. まずニーチェの永劫回帰論を, 人生が何回も繰り返されるのであれば, 今我らが必死に悩んだり考えたりしていることってめっちゃショボくね?軽くね?と解釈している様です. その上で, クンデラは人生は一回きりだ!だからこそ一つ一つの決断は重いものだ!と述べたいのかな.
ー逆に, 重荷がすっかりなくなってしまうと, 人間は空気よりも軽くなり, 飛び立って大地から, 地上の存在から遠ざかり, もうなかば現実のものではなくなって, その動きは自由であればあるほど無意味になってしまう. ー
と述べていることからも, 空っぽの人生, 空っぽの存在にならない為にも, 色々な重荷を背負って, 悩んで, 足掻いて, 考えて生きていこうよってことを要旨として伝えたいのかなと思います. 

 そうでなければ, 主人公のトマーシュが亡命先の(確か)チューリッヒで何不自由なく医者として生きていて, 政治的にも経済的にも精神的にも拘束されるプラハにわざわざ恋人のテレーザ追いかけて戻ってこないでしょ. 向こうでこれまで通りセフレとテキトーによろしくやってテキトーに上流階級っぽい生活楽しんでいれば良いでしょ. そもそも結構人間的に合わないんだし. 医者としての人生を捨ててまでテレーザとチェコの田舎に移り住むことないでしょ. すごく俗的なアウトプットになってしまいましたが, 彼が背負おうと決めたもの, 未来, そしてその後に歩むことに対する称賛を通して, クンデラは人生かくあるべし!と伝えたいのだと思います. あ, 私は称賛なんだと思いましたが, どの様に捉えるかは読者次第かも知れません. 

 いやあ, 今回ばかりは難し過ぎて確定的な表現があまりできず, 恥ずかしいす.
そもそもこのタイトルについて書こうと思ったきっかけが, 3月頃に私自身が人生で初めてプラハに行ったことにあります. 兄がチェコにかなり強い繋がりのある人なので, 以前から行ってみたかったのですが, やっと先般行くことができたのです. 特に兄が世界の橋で一番好きと行っていたカレル橋. そして当時の私にとってはかなり大きな意味を持っていたスメタナの世界観. 

当日は曇っていましたが, 夜は普通に綺麗でした. ちなみに連れは微妙と言っていました笑
スメタナ像も橋の近くにあったので写真を撮りました. 曇ってました笑

 帰国してから兄と旅行のことを話して, チェコの空気感が分かりたかったら『存在の耐えられない軽さ』を読めよと言われ, 今に至るという感じです. ちなみに私はトマーシュたちとは逆に当時の彼女と破局して帰ってきてしまいました汗
 いやあ, 場所自体は素晴らしかったのですが, 自分の取ったムーブに関しては悔いが残りますなあ. 本田圭佑リスペクトで, 反省はしても後悔はしないという姿勢を基本スタンスにしているのですが笑
 いずれにしても, 仕事でも学生時代にしてもアジアと関わることが多かった私としては(というかほとんどアジア諸国しか行ったことない), ヨーロッパ良いなあと, すごくお花畑な感想を漠然と抱きました笑

 次回も, ヨーロッパ繋がりで, Before Sunriseや, プラトン大先生のイデア論系を取り上げたいと思います. 前段で書いた, 何が愛か, みたいなのもその際に書けたらなあと思います. 一応学生時代古代ギリシア文学のゼミに入っていたので, そこそこ書くことがありそうです!あ, 働き方改革に関しては, 今回はもう疲れてしまったので, 次回以降に持ち越しです笑