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La petite mort

こんばんは, シンです.
今回はタイトルが書きたい内容と一見関係なさそうに見えるのと, これを説明しないと意味の分からないポストになるので, 最初にタイトル回収をします.
La petite mortというのはご想像の通りフランス語の表現で, “小さな死”を意味する言葉です.
かなり昔に何かの本を読んでいて”petites morts”という表現が出てきて, オシャレな表現だなーと思いながら忘れていました.
が, 今回Emily in Parisを観ていたら同じものが出てきたので, 数年間の時を経てタイトルにしてしまいました笑
タイトルをアルファベットにするとリーダー数が激減にするので本当はしたくなかったですが数年ぶりの出会いとなると嬉しくなってしまいました…
しかもEmily in Parisの中だと, 本来の”小さな死”という意味ではなく, “オーガズム”という意味で使っているのです!
何そのオシャレな言い回し!笑
もうフレーズそのものがシャンソンなんですか??という美しさ…
どうやらここ100数十年は, 小さな死という意味から発展してオーガズムに近い意味で使うことが多いそうな…
私はマレー語というものが話せるのですが, そんなポエティックな表現ないぞ…
せいぜいクルアーンから来た概念だよねとか, 福建語から輸入した発音だよね, とかサンスクリットの影響を受けているよね…くらい笑
何その文化的成熟度を感じる表現…と勝手に感動しています.
そんなことを思いながら, ここ最近の活動で出会った外国人のことを思い返してみました.
ここ数年着付けの文化を在日外国人に紹介する活動をたまにやっているのですが, これまで共感してくれた人ってフランス人しかいないんですよね…そういえば.
インド人, ベトナム人, ドイツ人, 韓国人, ミャンマー人と色々と数百人に着付けについて, またそこから感じられる日本の文化について紹介してきたのですが, ノってくれたのはフランス人だけでしたね…
このめっちゃ細かい紐の文化凄くない?みたいな.
これまでは一緒に仕事をする上では筋肉質な感じでビジネスプロセスを積み上げていけば良いよねということで, ドイツ人やインド人やカナダ人の人とやりやすいなーとか思っていたのですが, 生活面だとある意味共通項を見出せるのはフランス人だったんじゃないかと…
この侘び寂びみたいな感覚を分かってくれる人ってそうそういないのでね.

 前座のつもりが結構話してしまいました.
今回は“詰めの甘い言動”について語っていきます.
最近人々の詰めの甘い言動に出会う機会が多く, 少し萎えています.
個人的には嘘をつくのって非常に嫌なのですが, このご時世誰でも嘘はつくものなので, あまり人が嘘をつくことについては気になっていません.
ただ嘘をつくのがすごい下手な人多すぎないかな??と…
相手が誰であろうと, どういう関係性であろうと, 一度ついた嘘はつき通して欲しいですし,
ついた嘘が論理的に矛盾しないように取り繕って欲しいと思う今日この頃です笑
先日ミュージシャンのYUIが過去の楽曲のリマスター版のアルバムを出したので, それをきっかけとして過去にめっちゃ聴いていた曲を再生しまくっています.
“Swing of lie”という曲の中に “嘘ならやめてって言ったけど 嘘もつけないような人はもっと嫌い”
というフレーズがあるのですが, これって本当にその通りやなと笑


以前”嘘”については過去のポストで語ったことがあるのですが, これの一番ショボい嘘の条件も満たしていない小さなショボい嘘に遭遇しております…
こういうショボい嘘の何が嫌かって, その嘘に気づいてしまうと私の中でその人の一部が失われてしまうんですよね.
私が名探偵性を凄く発揮して, 頑張って調査して暴いた嘘だったらまあ良いのですが,
自分で勝手に過去についた嘘と矛盾する発言をしてしまうことが多くて…
そうするとその人がめっちゃ頭が悪いか, 性格が悪いか, と考えてしまうではないですか.
私との関係性がめちゃくちゃどうでも良くて, とりあえず適当に嘘をついてチョロまかそう!とかだったら分からなくはないですが(客観的に見たら多分そこそこ上手くやっていた方が双方にメリットがあると思いますが), だとすればズルズルと話し合いを続けるのではなく, 切ってしまった方が楽じゃないかなと…
嘘は基本良くないですが, 頭が良い人であれば過去についた嘘との整合性を取ろうとできるので, 簡単に分かる嘘をつく人って性格が悪くて頭も悪いのでは?と最近思ってしまっています.
しょーもない嘘をつくことでその人の人間性の一部(というか人としての品格みたいなもの)は死に, 私の中でその人の一部は死ぬという…
まさにLa petite mortです.
もちろん最近使われている意味ではなく, “小さな死”という意味ですが, お互いの精神の中でお互いの存在の一部が失われる切ない現象そのものに少し辛くなるという…
このポストを読んでくださっている方はどうか, そのような詰めの甘い言動をしない様にしていただきたいものですね.